shishouの独り呟き

アラフィフ、独身、派遣社員。薄給なのに趣味は金のかかるものばかり。そんな女の日常です。

本📕「若手歌舞伎」

昨日、シネマ歌舞伎の帰り、マッサージまで少し時間があったので、図書館に寄り道した所、このような本を発見しました。

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これまでにも、歌舞伎に関する本を借りたり買ったりして読んでいますが、私はどちらかと言うと初心者向け対象の本よりも、こうした玄人向けの本が好きです。
そこには、決していい事ばかり書いてありませんが、歌舞伎の本質を書いてあるものが多く、今回のこの本もまさにそんな感じでした。

私は最近、勘九郎さんに対して、演目がワンパターン過ぎて物足りないと思ってましたが、この著者の中村さんが「勘九郎は父の演目を追ってばかりで、そこから抜け出せていない」と指摘しており、確かにそうだと思いました。

新作では新たな個性を出しているものの、本来の歌舞伎らしい演目に関して言えば、まだ勘九郎さんらしさを出しきれてないな、と。例えば、自らの襲名公演で「土蜘」を演じられましたが、あれなどはらしくないと言うか、勘九郎さんの覚悟のようなものを感じて新鮮だった記憶があります。ああ言う舞台を観てみたいのに、最近は特にそれが顕著のような気がします。

勘三郎さんの演目を大切にしたいと言う気持ちは分かるのです。でも、それ以外にもっと挑戦して欲しい。
勘三郎さんは、新作歌舞伎のイメージが非常に強いですが、一方で古典歌舞伎にも意欲的だったと聞きますし、どんな役でも器用に演じ分けていましたよね。決して疎かにはしていなかった。

これは勘九郎さんばかりではありませんが、今の花形の役者さんたちは少し新作に走りすぎのような気がします。
特にここ数年それが顕著になっている。
奇しくも、勘三郎さんなどが亡くなられてからの時期と重なります。

でも、古典こそ歌舞伎であり、そこを蔑ろにしてはいけないと思います。
海老蔵さんに関しても、中村さんは「海老蔵はもっと古典を学んで身につけるべき」と仰ってます。
海老蔵さんに関しては、お家の芸事に必死になりすぎだと。

他にも様々な役者さんに対して、かなり厳しいご指摘をされている。
でも、どれも確かにと思わせるような事ばかり。
ファンの方が見たら、気を悪くされるかもしれませんが。

勘九郎さんの話に戻りますが、座組もワンパターン化してる、と。
確かに大御所との共演は少なく、いつも同じメンバーで落ち着いている。
平成中村座コクーン歌舞伎に関してはそれも致し方がないですが、本公演にも確かにその傾向があります。
来月の博多座の公演も、ほぼお馴染みのメンバーで、お馴染みの演目ですしね。
これに関しては、勘三郎さんがいない影響が大きいと思います。
勘九郎さんほどではないけど、海老蔵さんですらその傾向がありますしね。
歌舞伎界って、実力よりも父親の存在がものを言うんだな、と。

とは言え、松緑さんのように幼くして父を亡くしたけど、地道に実力をつけた役者さんもいますし、同じく松也くんも地道に実力をつけて立派な役者になってます。
愛之助さんのように、歌舞伎とは無縁の家に育っても、主役に抜擢される実力のある役者に成長されてますし、そればかりは一概に言えませんが。

七之助さんが、勘九郎さんとは別の公演を増やすべき、には賛成です。
中村屋兄弟の好きな私でも、それは思ってました。
これは、4月に巡業公演が終わった後、勘九郎さんが大河でしばらく歌舞伎の舞台から遠ざかるので、実現しそうです。
まずは5月のコクーン歌舞伎
ここでまず、真価を問われるでしょうね。

更に秋に獅童さんと海外公演もされるようですし(この著書で獅童さんについて触れられてなかったのが残念)、他にも色んな役者さんと共演して欲しい。
幸い幸四郎さん、海老蔵さん、松緑さん、愛之助さん、中車さんなどなど、相手役はたくさんいますし。
この1年の間に誰と組んで演じられるのか、楽しみです。

勘九郎さんをしばらく観れないのは非常に寂しいですが、またパワーアップした姿を拝見できることを楽しみにしてます。

花形の主役級ばかりではなく、他ではあまり触れられない彦三郎さんや梅枝くんについても触れられていたり、まとめてではありますが平成生まれの若手に関してもさらっと期待の文面が書いてありました。
平成から新年号に変わる頃に、平成生まれの役者たちにも大役がつく可能性があるので、これはこれで楽しみです。

まぁ、批判も期待の裏返し。
あまりにも人格否定するような過剰な批判は嫌ですが、ほとんど納得のできる内容だったので、まぁそれもありかな。
たまたま新刊本の所にあったのですが、借りてきて良かった。